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vol 34 もてぎロードレース選手権 第四戦 決勝

 予選時よりは気温も上がったものの、それでも22℃ほど。日差しに当たるとかなり強烈な熱を感じたが、ピットの中に入ればヒンヤリとして肌寒いくらいだった。重要なのは路面温度。予選で使用したミディアムでいくのか、それとも前回同様ハードで行くのか、非常に微妙な温度だったのだ。

 ブリヂストンのスタッフさんと相談し、結局リヤにはハードをチョイスすることに決定。恐らくどちらでもイケるような状況ではあったが、後半に勝負にならないのだけは避けたかったので、固めのタイヤでいくことにした。

 前回と同じく、非常にフレッシュな景観のポールポジション。しかし今回はまったくといっていいほど気負いはなく「とにかく11000回転!」ということしかアタマになかった。誰かとの戦いではなく、自分のエンジンとの格闘になる、ということしか考えられない。「………スリップに入っていれば、多少はゴマかせるかもしれない」という思いも脳裏をよぎる。

 さてこのレースではじめてCBRのスタート時におけるトラブル、すなわちある回転数を保ったままクラッチミートすると、突然半クラがなくなってウィリーしてしまう、というものを解消するためのパーツを組み込んだ。単純なワッシャー部品なのだが、これが恐ろしいほど高く「これでシクったらマジクレーム」と気合が入っていた。しかしその効果は絶大で、このシリーズではじめてきちんとした回転数を保ったままスタートを切ることが出来た。

 1コーナーまでにGSXRの選手にスルスルと前に行かれそうになったが、ブレーキングで凌いでトップで進入。この後のストレートで抜かれると面倒なので、2コーナーの立ち上がりに全身全霊をかけて(笑)フル加速。無事に3コーナーにもトップで進入できた。

 前回もてぎのモトGPにおけるカピロッシイメージで、そのまま一気にフルスパートをかけることにする。今回は参加台数が多いこともあって、自分もそうだったように予選ではみんなクリアが取れていないはず。つまり実質のタイムアドバンテージはまったく分からなかったので、後続がどこまでついてくるのかを試すことにした。

 アウトラップで59秒台、二周目には57秒に突入。結構なハイペースだ。三周目のボードには「2秒5」というアドバンテージが提示され、スタート直後のスパートが成功したことを知る。だが、ここからが本番だ。予想通りだったが、11000回転で発生するエンジンのモタつきは頑として回復しておらず、コーナー立ち上がりでは気が気ではない状態が続く。パーシャルから開け始めた瞬間に失速し、その直後にズドーンとついてくるような凶悪な特性となっているために、一切気は抜けなかった。特にヤバかったのが4コーナー、130R、そしてS字とダウヒンル後。何度かその落差でハイサイドをくらいかけたが、しばらくするとその「モモーン、ズドーン!」という特性にも慣れてきて、ラップアベレージは57秒台中盤で安定した。

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 アドバンテージが3秒5ほどになったところで、しばし安定飛行となる。飛行機でいえば1万メートルに上がったあたりだ。走りそのものは結構際どいラインで攻めていたのだが、本当の意味での限界ではなかった。後続との差を見つつ、タイヤとブレーキを出来るだけ温存しておきたかった。今のマシンパッケージでは、本気で走り続けた場合にどちらもいい状態をキープするのが難しい。
 6周目にコンマ3秒ほど詰め寄られたものの、幸い予想以上のレベルではなかったので、7周目までは安定飛行とした。BSさんとブンゲン(笑)のアドバイス通り、リヤにハードをチョイスしたのも正解だったようだ。もしもミディアムだったら、このペースをキープするだけで厳しかったかもしれない。このラップアベレージなら、スリック装着のJSBでも勝負できそうなほどだった。

 モテローも20周くらいあるレースだとさらに面白い。10周程度の超スプリントだと、マシンパワーだけで決まってしまう感がある。モトGPに見るまでもなく、ビックマシンの面白さというのはタイヤがタレてきてからの妙技につきる。その上でのパッケージを考えて構築するのが楽しいのだが、地方選手権のレースでは残念ながら周回数が短く、そこまでの醍醐味を味わうには至ってないのが現状だ。

 いよいよレースは後半へ差し掛かる。8周目、それまで温存しておいたタイヤを一気にブレイクさせるようにフルスパート。57秒3までペースを上げて、そのまま二周する。予想通り後続との差は3秒6まで再度広がった。ファイナルラップ、このままいけばよほどのことがない限り優勝できるアドバンテージを築く。
 
 だが、ゴルフとレースでは絶対にゴールするまで攻めなければいけない。トップで進入した最終ラップにもっとも大事なことは、優勝も何もかも忘れてライディングを楽しむことだ。アタマを空っぽにして走れば、こんなに楽しいスポーツは他にないことをもう一度思い出して、ひとつひとつのコーナーを積極的に攻め込む。出来ればこの周回にファステストを記録する、そんなつもりで走った。

 ダウンヒルでブルーフラッグにまったく気付かない周回遅れ二台に絡んでしまい、そのまま最終コーナーまでもつれ込んだが、後続との差は十分にあり、一台をパスして、そのままトップでゴールした。西の果て、スペイン・ヘレスのマスターバイクで優勝を誓ってから実に半年。それ以降、自分の行動とともに思いは地球上を駆け巡ったが、10月のツインンクもてぎで、ようやくそれは達成された。

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by kei74moto2006 | 2006-10-21 09:49

vol9 千は急げ?

「………そっか。話はわかった。オレとしてもケイを走らせられればすごく嬉しい。ただ、シーズンも途中だし、あまりに急な話だから………正直どこまで出来るか分からない」

青さんは電話口でそういった。
ただ、オレは言葉尻ほど状況は悪くないと踏んだ。そうとなれば話は早い。片っ端からマシンを用意する段取りをつけて、ネットで車両を検索したり、レースベース車をオーダーする寸前までいったりしながら、プランを練った。その過程でどんどん自分のしたかったことが浮き彫りになってくる。そのイメージが鮮明になればなるほど、脳みそも活性化する。早くこのトライアングルを結びたい、そのためにはどうすればいいのか。あらゆる方法を考え、自分で出せるものはすべて出し、その上で当初の目的である「長く楽しめるレース」の下地を作る………。

青さんに電話してからやはり一週間後。

オレは2006年型CBR1000RRを手に入れた。
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by kei74moto2006 | 2006-05-08 05:36

vol6 想うは輝かしき日々

四輪の免許を持っていなかった16歳のオレは「ドリームNODA」の先輩方のトランポにバイクを積んでもらっての筑波通いが続いていた。何度目かの走行で「メカニック系のレーサー」のほとんどにラップタイムで勝り、そこから少しずつ「上下関係」に微妙な線が入りはじめた。そして迎えたデビューレース、1988年の筑波選手権第二戦。単体カテゴリーでのエントリーが数百台にも登るSP250クラスで、いきなり予選3位となってから、状況は一変した。

「ケイ、おまえスゴイな」

その年の最終戦では当事のNODAのトップライダーであり、ノービスレーサーのアイドル的な存在だった「平田義和」選手とデッドヒートをするまでに成長、結果100分の7秒台の僅差で破れて二位となったが、これは未だにステキな「負け戦」として胸に焼き付いている。絶対に追いつけないのではないかと思った先輩、しかしそれに追いつき、しかも前に出てデットヒートを繰り広げる。抜かれた後も「ついていけて」、しかも先輩はオレに対して「ブロックライン」を使った………。絶対に世界一速くなってやろうと思っていたが、しかし実際に自分が速くなって目標に追いついていくのはどうも現実感がなかった。

「アブなくヤラれるとこだったぜ。ケイ、おまえ速くなったな」

表彰台の上、それまでは背が小さくても「巨人」に見えた平田さんを、背丈と同じ大きさに感じるようになった。「NODA」としてのレースはこれで終了、高校を卒業する翌年三月には鈴鹿に渡り、西の名門といわれたブルーフォックスの門を開くこととなる………。
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by kei74moto2006 | 2006-05-08 05:29