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vol 60  最終回 もてぎロードレース選手権 R4(決勝)

2007 もてぎロードレースリリーズ最終戦。いよいよCBRチャレンジでの最後のレースが幕を閉じた。

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結果は、1位と0.910秒差での2位だった。

同時に、2007年シリーズチャンピオンとなる。

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神々が出雲大社に集って留守となるという神無月、それでも10月のもてぎの空は、爽やかな秋色だった。そしてその下には、たくさんのレース好きと、大好きな仲間達がいた。

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万感が交錯していた。ただ、それでもこの先また必ずレースをするだろうという確信だけは持った。

まるでノービスや国内A級のときのように、自費を投入してバイクを作りトランポを運転してタイヤ交換も整備も自ら行っての二年間だった。もちろん手伝ってくれた人、サポートしてくれた企業も少なからずいて、その人たちのおかげでここまでやれた。ただ、事の発端、そのベースは、まず自分が泥を吸ってでも動けるかどうかだったと思う。

そういう意味で、自分のルーツをしっかり確認できた二年間でもあった。

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「レース?遊びです」

12年前、モリワキから8耐に出るときに受けたNHKの特集取材において、レースとはなんですか?と聞かれて、そう応えた。全力でやれる遊びだと。日本のレース界で真の意味でのプロフェッショナルなどありえない、だったら自分の好きな形でやり続ける、遊びこそ偉大なものでありそこに妥協は許されない、だからこそ、それが自分のレースだ。

24歳の自分は、今見れば気恥ずかしくなるほどそう生意気なことをほざいていた。

もし今、あのときの自分に同じ質問を受けたら、なんと応えるだろうか。

やいクソジジイ、あんたにとって、レースとはなんだい?

「遊びだバカヤロウ」

間違いなく、そう応える。この二年を経てより一層、そう思った。

レースだけでメシが食えないからではない。技術レベルでいえば他の競技に負けているとは一切思わない。しかし、レースを興行とするならオレたちはけしてプロとはいえない。しかし、だから遊びというわけではない。

幸いなことにファクトリーレーサーになった経験はない。だからこそ、レースを真摯に考えられると思ってる。メーカーの思惑も何も関係ない。自分がやりたいかやりたくないか、それだけがすべての指標であり、モチベイションだった。

そういうことをやり続けて初めて自分が何をしたいのか、その輪郭がおぼろげながら見えてくる気がした。カネと時間と、時には命を賭して初めて知る「遊び」がある。

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延べ600日以上にも及ぶ自分の最大の遊びに、快く、そして最後まで付き合って下さった皆さん、本当にありがとう。JSBからだとすると3年間連続応援し続けてくれた人たちもいた。………家庭は大丈夫ですか(笑)。

大丈夫だろうが大丈夫じゃなかろうが、また、必ず面白い遊びを考えます。そのときは全開で誘うので宜しくお願いいたします。

2006-2007 梨本圭CBRチャレンジ

完。


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 CBRチャレンジスペシャルサンクス

 ホンダ

 ブリヂストン

 ASアオヤマ

 モリワキエンジニアリング

 アライヘルメット

 クシタニ

 KDC

 D.I.D

 ベスラ

 NUTEC

 NGK

 SUNSTAR

 モーターサイクリスト

 ドクターSUDA

 梨本塾大応援団

 雅会

 アオさん

 本橋くん

 ブンゲン

 浜松のナグタン

 鈴鹿のツネさん

 梅田のマッチャン

 王子の隊長 

 オールスターモータースポーツ
 
 ナオコ

 マユコ
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by kei74moto2006 | 2007-10-14 17:00 | 2006-07 もてぎ選手権

vol 59 もてぎロードレース選手権 R4(決勝)

予選は二番手だった。トップはこのシリーズで何度も争っている黒川選手、VTR-SP1。一昔前のバイクだが、マシンパッケージそのものは結構イジくってある雰囲気だ。足回りなどにもお金はかかっている。

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その黒川選手と、はじめからガチバトルになった。

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ツインならではの特性を上手に生かして各コーナーのアプローチから立ち上がりまで隙なく走っている。トップスピードはそれほどでもないが、そこに到達するまでのテンポが驚くほど速い。

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予選からもさらに仕様を変更して挑んだCBRは、思い通りのマシンバランスとまではいかなかったものの、なんとかこれに喰らいついていくだけのパフォーマンスを発揮した。互いに相手の出方を伺いながらの序盤戦とはいえ、4周目には130RからS字の進入でトップに立ってそのままレースを引っ張る。

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6周目には25秒6、7周目に25秒5、8周目に25秒7と連続して予選タイムを上回るペースで周回する。ペース的にはけして悪くないものの、後ろも離れない。出来ればこの最終戦までに、あと1秒弱ほどペースアップできるようなパッケージを作り上げたかった。たぶん黒川選手とのベストラップではコンマ5秒近い差がある―どうする?ツインの排気音を背中で聞きながら、勝てる可能性を探る。

このペースで走って離せないなら、前を走るのは得策じゃない。残りは4周。一旦下がって相手を見ることにした。

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VTRとCBRの違いはこうだった。まずストレートエンドでは若干追いつき、コーナー進入はほぼ互角、しかしクリップ付近からはVTRが非常にコンパクトに回り、そこから脱出への移行が驚くほど速かった。こちらがホイルスピンをしてばかりいる2~4速間の加速力では太刀打ちできない。正直言えば、ほとんど勝負できるパートはなかった。つまりロングストレートの後半部分以外で、アドバンテージはない。

一発勝負。

そう決めて周回を重ねる。

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前に出た黒川選手も思ったほどペースは上がらず、ギリギリでついていくことは可能だった。タイヤの状態も似たようなもので、すでにリヤは流れ始めている。とにかく早くバイクを起こして加速に入れる。立ち上がりでは出来る限り後ろに乗ってリヤタイヤを地面にこすり付ける。垂直に近い状態でもホイルスピンを始めている以上、そんなギリギリの戦いしかなかった。

迎えた最終ラップ。ひとまずは舎弟圏内にいる。だが、バックストレッチからダウンヒル、S字にかけてややペースが上がった。恐らくワンチャンスは130RからS字の飛び込みだ。ここで離される訳にはいかない。

少し無理をしたショートカットS字立ち上がり(本コース4コーナー)では3速で思い切りリヤが流れた。しかしギリギリでハイサイドにはならず、そのまま縦方向のスライドになった。トップとの差が少しだけ開いてしまい、このままでは130R以降の勝負に出られない。

なんとかその差を詰めようと5コーナーのブレーキングを思い切り遅らせたところ………リヤが流れ出た。クリッピングどころかコースアウトしそうなほどの、大きなブレーキングミスだった。

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130Rでの進入では絶望的なほど差が開いていた。この瞬間、この二年間のチャレンジが終わったなと思った。もちろん最後まで何があるのか分からないのがレースでもあるが、これほど緊張感のある戦いの中で、下らないミスやマシントラブルは起き得ない。

最後のヘアピンを回ると、チェッカーフラッグよりも先にこの二年間の間、ずっと傍らに寄り添っていてくれたピットクルーやメカニック、そして応援団の姿が見えた。

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彼らに向かって最大限の謝辞を込めて、出来る限りフロントホイールを引っ張り上げ、神無月の空の彼方を眺めた。


つづく
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by kei74moto2006 | 2007-10-14 15:50 | 2006-07 もてぎ選手権

vol 58 もてぎロードレース選手権 R4(予選)

いよいよもてぎロードレース選手権の最終戦の予選が始まる。これはもてぎでの最終戦というだけでなく、自分が二年間やってきたCBRチャレンジの最後のレースでもある。

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予選開始は11:35より20分間。東コースで行われるため、およそ13~4LAP程度周回出来る計算だ。

昨日のテストを終えてからは、ひとまず自分が感じている違和感をまずマシン側ですべて消し去ろうとセットアップをすることにした。リヤの車高の引き下げ、チェーンリンク数の調整、ファイナルレシオのさらなる見直し………。基本的にテスト走行は中古タイヤしか用いていないが、それにしても昨日までのタイムでは話にならない。なんとかしてもう一度納得のいくレベルまでマシンバランスを引き上げる必要があった。

コースインするといつもの風景が広がる。東コースピットより駆け下りすぐにダウンヒルへ。タイヤが温まっていない段階でここに入っていくのはいつも恐怖感がある。何事も起こらないようゆっくりとバイクを寝かせ、すぐにパーシャルへ。さらに立体交差を潜り抜け、東コースレースならではのS字ショートカットに入っていく。

右、左、右、そして最後の左で本コースの4コーナーへ繋がる。その後のストレートで全開にしてエンジンの様子を伺った。10月の澄んだ大気に呼応するように、CBRのエンジンは快調だった。

4周ほどスローペースで回りながら、空いている場所を探す。5周目にちょうど隙間が空いたのでファーストアタックへ入る。バックストレッチを駆け上がりながら「やれることを、全力でやろう」と決める。すべての照準を近未来へ。このイメージとの同化こそがファステストラップを意味する。

5周目のタイムは1分26秒0。テストよりも1秒以上速いタイムだったが、しかしイメージからは程遠い。一度ピットインして微調整をしてピットアウト。さらにアタックを繰り返した4周目にようやく25秒8をマークするものの、これが精一杯だった。

レースの予選という現場を走ると、迷いは払拭された。恐らくは唯一フォーカスできる場所がそこだったということだ。テスト走行時にはなかった感覚があった。走行後に湧き出てくるのは、恐怖心や亡くなったレーサーの顔ではなく、イメージ通りにならないマシンの現況と、それをなんとか決勝までにクリアするための様々なアイデアだった。

どんなことがあっても、この二年間の最後のレースをオレは楽しむことにする。

そう心に決めて、マシン準備に入った。


つづく
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by kei74moto2006 | 2007-10-14 11:35 | 2006-07 もてぎ選手権

vol 57 もてぎロードレース選手権 R4(公式練習)

前回テストからほぼ一ヶ月、10月の第二週にいよいよレースウィークに突入する。

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立て続けに日本のロードレース界を襲った重大な事故。8月の終わりに奥野選手が重篤な状態に陥り、そのすぐ後には沼田選手が還らぬ人となった。また、前回テストを終えた9月末には奥野選手も入院先で亡くなり、わずかひと月ほどの間に二人もの実力者を失うという悲劇となった。

だが、この負の連鎖は、これほどの大きな悲しみを残してもなお、止まらなかった。なんとか気持ちがまとまるのを待とうと思っていた矢先、10月に入ってすぐに、今度はノリックが、よりによって公道で命を落とすという事態に陥る。

正直、ほとんど何も考えることが出来なかった。覚悟を決めているかどうかという話はさておき、レーサーが死ぬということはもちろん珍しいことではない。それだけのことをしているからだ。

しかし、全日本の、しかもトップランカーが立て続けに死ぬということはなかなかない。それぞれ速いだけではなく、レースシーンにおいて身を守る術を知り抜いているからこそ、ここまで生き抜き、レースを続けてこられたからだ。

だが、そういうものが奥野、沼田両選手の事故により根底から覆され、さらにはノリックが公道で、よりによってトラックとの衝突事故でこの世から去る………。同僚レーサーからの知らせでニュース速報を見ても、それが現実だとは受け入れられなかった。

信じられないという気持ちを抱いたまま、ノリックのお通夜に向かった。青山の斎場には数多くのファンや関係者、そして顔見知りのレーサーたちがたくさん詰め掛けていた。その誰もが、現実を受け入れられていなかったと思う。

うんざりしていた。なんでこんな場所で、レーサー同士が何度も顔をあわせなければならなないのかと運命を呪った。言葉など何もない。ノリック、お前とは先月沼田さんの葬式で会ったばかりじゃないか。なんで太陽のような笑顔がもっとも似合う男が、こんな一番似つかわしくないイベントのド真ん中にいやがるんだ………。最前列に幼子が座る会場で、焼香するのが精一杯だった。

2007もてぎロードレース選手権オープンマイスタークラス最終戦の公式練習は、この通夜の翌日だった。

マシンの仕様うんぬんかんぬんではなく、気持ち的には前回テスト時よりさらに澱みきっていた。レーシングスピードで走っても、何一つ開放されることはなく、重たい気持ちを背負ったまま周回を重ねた。タイムは一向に上がらず27秒台のままだ。こんなんでレースになるのか?そもそも明日の予選を走る意味があるのだろうか。なぜレースをしなければならないのだ?この時点では、その答さえ出ていなかった。

つづく
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by kei74moto2006 | 2007-10-13 10:18 | 2006-07 もてぎ選手権