梨本圭CBR1000RRチャレンジ 2006-2007season
2011-04-22T21:17:59+09:00
kei74moto2006
2006年型CBR1000RRノーマルベースにして、2006-2007もてぎロードレース選手権にチャレンジ。2007年シリーズチャンピオン。
Excite Blog
vol 60 最終回 もてぎロードレース選手権 R4(決勝)
http://kei74moto2.exblog.jp/15314740/
2007-10-14T17:00:00+09:00
2011-04-22T21:17:59+09:00
2011-04-21T09:39:28+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
結果は、1位と0.910秒差での2位だった。
同時に、2007年シリーズチャンピオンとなる。
神々が出雲大社に集って留守となるという神無月、それでも10月のもてぎの空は、爽やかな秋色だった。そしてその下には、たくさんのレース好きと、大好きな仲間達がいた。
万感が交錯していた。ただ、それでもこの先また必ずレースをするだろうという確信だけは持った。
まるでノービスや国内A級のときのように、自費を投入してバイクを作りトランポを運転してタイヤ交換も整備も自ら行っての二年間だった。もちろん手伝ってくれた人、サポートしてくれた企業も少なからずいて、その人たちのおかげでここまでやれた。ただ、事の発端、そのベースは、まず自分が泥を吸ってでも動けるかどうかだったと思う。
そういう意味で、自分のルーツをしっかり確認できた二年間でもあった。
「レース?遊びです」
12年前、モリワキから8耐に出るときに受けたNHKの特集取材において、レースとはなんですか?と聞かれて、そう応えた。全力でやれる遊びだと。日本のレース界で真の意味でのプロフェッショナルなどありえない、だったら自分の好きな形でやり続ける、遊びこそ偉大なものでありそこに妥協は許されない、だからこそ、それが自分のレースだ。
24歳の自分は、今見れば気恥ずかしくなるほどそう生意気なことをほざいていた。
もし今、あのときの自分に同じ質問を受けたら、なんと応えるだろうか。
やいクソジジイ、あんたにとって、レースとはなんだい?
「遊びだバカヤロウ」
間違いなく、そう応える。この二年を経てより一層、そう思った。
レースだけでメシが食えないからではない。技術レベルでいえば他の競技に負けているとは一切思わない。しかし、レースを興行とするならオレたちはけしてプロとはいえない。しかし、だから遊びというわけではない。
幸いなことにファクトリーレーサーになった経験はない。だからこそ、レースを真摯に考えられると思ってる。メーカーの思惑も何も関係ない。自分がやりたいかやりたくないか、それだけがすべての指標であり、モチベイションだった。
そういうことをやり続けて初めて自分が何をしたいのか、その輪郭がおぼろげながら見えてくる気がした。カネと時間と、時には命を賭して初めて知る「遊び」がある。
延べ600日以上にも及ぶ自分の最大の遊びに、快く、そして最後まで付き合って下さった皆さん、本当にありがとう。JSBからだとすると3年間連続応援し続けてくれた人たちもいた。………家庭は大丈夫ですか(笑)。
大丈夫だろうが大丈夫じゃなかろうが、また、必ず面白い遊びを考えます。そのときは全開で誘うので宜しくお願いいたします。
2006-2007 梨本圭CBRチャレンジ
完。
CBRチャレンジスペシャルサンクス
ホンダ
ブリヂストン
ASアオヤマ
モリワキエンジニアリング
アライヘルメット
クシタニ
KDC
D.I.D
ベスラ
NUTEC
NGK
SUNSTAR
モーターサイクリスト
ドクターSUDA
梨本塾大応援団
雅会
アオさん
本橋くん
ブンゲン
浜松のナグタン
鈴鹿のツネさん
梅田のマッチャン
王子の隊長
オールスターモータースポーツ
ナオコ
マユコ
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vol 59 もてぎロードレース選手権 R4(決勝)
http://kei74moto2.exblog.jp/15314328/
2007-10-14T15:50:00+09:00
2011-04-21T14:08:43+09:00
2011-04-21T08:01:40+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
その黒川選手と、はじめからガチバトルになった。
ツインならではの特性を上手に生かして各コーナーのアプローチから立ち上がりまで隙なく走っている。トップスピードはそれほどでもないが、そこに到達するまでのテンポが驚くほど速い。
予選からもさらに仕様を変更して挑んだCBRは、思い通りのマシンバランスとまではいかなかったものの、なんとかこれに喰らいついていくだけのパフォーマンスを発揮した。互いに相手の出方を伺いながらの序盤戦とはいえ、4周目には130RからS字の進入でトップに立ってそのままレースを引っ張る。
6周目には25秒6、7周目に25秒5、8周目に25秒7と連続して予選タイムを上回るペースで周回する。ペース的にはけして悪くないものの、後ろも離れない。出来ればこの最終戦までに、あと1秒弱ほどペースアップできるようなパッケージを作り上げたかった。たぶん黒川選手とのベストラップではコンマ5秒近い差がある―どうする?ツインの排気音を背中で聞きながら、勝てる可能性を探る。
このペースで走って離せないなら、前を走るのは得策じゃない。残りは4周。一旦下がって相手を見ることにした。
VTRとCBRの違いはこうだった。まずストレートエンドでは若干追いつき、コーナー進入はほぼ互角、しかしクリップ付近からはVTRが非常にコンパクトに回り、そこから脱出への移行が驚くほど速かった。こちらがホイルスピンをしてばかりいる2~4速間の加速力では太刀打ちできない。正直言えば、ほとんど勝負できるパートはなかった。つまりロングストレートの後半部分以外で、アドバンテージはない。
一発勝負。
そう決めて周回を重ねる。
前に出た黒川選手も思ったほどペースは上がらず、ギリギリでついていくことは可能だった。タイヤの状態も似たようなもので、すでにリヤは流れ始めている。とにかく早くバイクを起こして加速に入れる。立ち上がりでは出来る限り後ろに乗ってリヤタイヤを地面にこすり付ける。垂直に近い状態でもホイルスピンを始めている以上、そんなギリギリの戦いしかなかった。
迎えた最終ラップ。ひとまずは舎弟圏内にいる。だが、バックストレッチからダウンヒル、S字にかけてややペースが上がった。恐らくワンチャンスは130RからS字の飛び込みだ。ここで離される訳にはいかない。
少し無理をしたショートカットS字立ち上がり(本コース4コーナー)では3速で思い切りリヤが流れた。しかしギリギリでハイサイドにはならず、そのまま縦方向のスライドになった。トップとの差が少しだけ開いてしまい、このままでは130R以降の勝負に出られない。
なんとかその差を詰めようと5コーナーのブレーキングを思い切り遅らせたところ………リヤが流れ出た。クリッピングどころかコースアウトしそうなほどの、大きなブレーキングミスだった。
130Rでの進入では絶望的なほど差が開いていた。この瞬間、この二年間のチャレンジが終わったなと思った。もちろん最後まで何があるのか分からないのがレースでもあるが、これほど緊張感のある戦いの中で、下らないミスやマシントラブルは起き得ない。
最後のヘアピンを回ると、チェッカーフラッグよりも先にこの二年間の間、ずっと傍らに寄り添っていてくれたピットクルーやメカニック、そして応援団の姿が見えた。
彼らに向かって最大限の謝辞を込めて、出来る限りフロントホイールを引っ張り上げ、神無月の空の彼方を眺めた。
つづく
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vol 58 もてぎロードレース選手権 R4(予選)
http://kei74moto2.exblog.jp/15308040/
2007-10-14T11:35:00+09:00
2011-04-21T10:59:51+09:00
2011-04-20T11:20:51+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
予選開始は11:35より20分間。東コースで行われるため、およそ13~4LAP程度周回出来る計算だ。
昨日のテストを終えてからは、ひとまず自分が感じている違和感をまずマシン側ですべて消し去ろうとセットアップをすることにした。リヤの車高の引き下げ、チェーンリンク数の調整、ファイナルレシオのさらなる見直し………。基本的にテスト走行は中古タイヤしか用いていないが、それにしても昨日までのタイムでは話にならない。なんとかしてもう一度納得のいくレベルまでマシンバランスを引き上げる必要があった。
コースインするといつもの風景が広がる。東コースピットより駆け下りすぐにダウンヒルへ。タイヤが温まっていない段階でここに入っていくのはいつも恐怖感がある。何事も起こらないようゆっくりとバイクを寝かせ、すぐにパーシャルへ。さらに立体交差を潜り抜け、東コースレースならではのS字ショートカットに入っていく。
右、左、右、そして最後の左で本コースの4コーナーへ繋がる。その後のストレートで全開にしてエンジンの様子を伺った。10月の澄んだ大気に呼応するように、CBRのエンジンは快調だった。
4周ほどスローペースで回りながら、空いている場所を探す。5周目にちょうど隙間が空いたのでファーストアタックへ入る。バックストレッチを駆け上がりながら「やれることを、全力でやろう」と決める。すべての照準を近未来へ。このイメージとの同化こそがファステストラップを意味する。
5周目のタイムは1分26秒0。テストよりも1秒以上速いタイムだったが、しかしイメージからは程遠い。一度ピットインして微調整をしてピットアウト。さらにアタックを繰り返した4周目にようやく25秒8をマークするものの、これが精一杯だった。
レースの予選という現場を走ると、迷いは払拭された。恐らくは唯一フォーカスできる場所がそこだったということだ。テスト走行時にはなかった感覚があった。走行後に湧き出てくるのは、恐怖心や亡くなったレーサーの顔ではなく、イメージ通りにならないマシンの現況と、それをなんとか決勝までにクリアするための様々なアイデアだった。
どんなことがあっても、この二年間の最後のレースをオレは楽しむことにする。
そう心に決めて、マシン準備に入った。
つづく
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vol 57 もてぎロードレース選手権 R4(公式練習)
http://kei74moto2.exblog.jp/15307990/
2007-10-13T10:18:00+09:00
2011-04-21T14:05:54+09:00
2011-04-20T11:09:50+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
立て続けに日本のロードレース界を襲った重大な事故。8月の終わりに奥野選手が重篤な状態に陥り、そのすぐ後には沼田選手が還らぬ人となった。また、前回テストを終えた9月末には奥野選手も入院先で亡くなり、わずかひと月ほどの間に二人もの実力者を失うという悲劇となった。
だが、この負の連鎖は、これほどの大きな悲しみを残してもなお、止まらなかった。なんとか気持ちがまとまるのを待とうと思っていた矢先、10月に入ってすぐに、今度はノリックが、よりによって公道で命を落とすという事態に陥る。
正直、ほとんど何も考えることが出来なかった。覚悟を決めているかどうかという話はさておき、レーサーが死ぬということはもちろん珍しいことではない。それだけのことをしているからだ。
しかし、全日本の、しかもトップランカーが立て続けに死ぬということはなかなかない。それぞれ速いだけではなく、レースシーンにおいて身を守る術を知り抜いているからこそ、ここまで生き抜き、レースを続けてこられたからだ。
だが、そういうものが奥野、沼田両選手の事故により根底から覆され、さらにはノリックが公道で、よりによってトラックとの衝突事故でこの世から去る………。同僚レーサーからの知らせでニュース速報を見ても、それが現実だとは受け入れられなかった。
信じられないという気持ちを抱いたまま、ノリックのお通夜に向かった。青山の斎場には数多くのファンや関係者、そして顔見知りのレーサーたちがたくさん詰め掛けていた。その誰もが、現実を受け入れられていなかったと思う。
うんざりしていた。なんでこんな場所で、レーサー同士が何度も顔をあわせなければならなないのかと運命を呪った。言葉など何もない。ノリック、お前とは先月沼田さんの葬式で会ったばかりじゃないか。なんで太陽のような笑顔がもっとも似合う男が、こんな一番似つかわしくないイベントのド真ん中にいやがるんだ………。最前列に幼子が座る会場で、焼香するのが精一杯だった。
2007もてぎロードレース選手権オープンマイスタークラス最終戦の公式練習は、この通夜の翌日だった。
マシンの仕様うんぬんかんぬんではなく、気持ち的には前回テスト時よりさらに澱みきっていた。レーシングスピードで走っても、何一つ開放されることはなく、重たい気持ちを背負ったまま周回を重ねた。タイムは一向に上がらず27秒台のままだ。こんなんでレースになるのか?そもそも明日の予選を走る意味があるのだろうか。なぜレースをしなければならないのだ?この時点では、その答さえ出ていなかった。
つづく
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vol 56 もてぎロードレース選手権 R4(test)
http://kei74moto2.exblog.jp/15307735/
2007-09-15T09:53:00+09:00
2011-04-21T10:59:51+09:00
2011-04-20T10:12:29+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
スプリント仕様のCBRに跨るのは第三戦以来となるのでほぼ二ヶ月ぶり。この間はほとんどもて耐に没頭していたため、マシンは小変更のみに留めての走行となった。
もて耐からそう日は経っていないため体はキレていたし、マシンも大きな変更点はなかったため、それほど難しく考えていなかったものの、もう一つの大きなファクター「精神的な部分」で、大きな変化があった。
実はこのテスト走行の直前、日本のロードレース界は立て続けに大きなアクシデントに見舞われている。
まず8月の全日本選手権菅生ラウンドにて多重クラッシュが発生。この中で奥野正雄選手が巻き込まれ、重篤な状態に陥っている。またそれからほとんど間を空けぬ9月4日には、同じくST600クラスを走る沼田憲保選手が岡山のテスト走行でクラッシュし、還らぬ人となった。
昔から、なぜかバイクレースのアクシデントは伝播する。理由は分からないが、一度こういったケースが起こると重大事故が続くのだ。正直この時点では、レースを走るモチベイションが失われつつあった。
沼田選手の葬儀では、その先頭で大粒の涙を流しながら故人を偲ぶノリックの姿があった。沼田さんの亡骸の横には、ゴルフバックが立て掛けられていた。主人を持たないゴルフクラブの映像が、目に焼きついて離れなかった。レーサーでさえ、この立て続けに沸き起こるアクシデントをどう捉えていいのかわからなかった。
葬儀の後、岡田(忠之)さんの茨城の実家にみんなで向かい、どうにかしてこの深い悲しみから開放されようと喪服のまま浴びるほど酒を飲んだ。倒れるまで酒を酌み交わしたが、結局それでも何かから開放される感じは一切なかった。
そういう時間を経ての、テスト走行だった。長くレースを続けている人間ほど、一度コースに出れば、というほど単純ではない。身が入るはずもなかった。
結局この日の走行では1分27秒台が精一杯でテストを切り上げる。3月のテストでは25秒台にも入ることがあったことを考えれば、比較しようもないほど遅いペースだった。
………時間を重ねて気持ちがまとまるのを待つしかない。
この日のテストを終えたとき、そう思った。
だが、そうなることなどこの先二度とないのではないか、というほど大きなアクシデントがこの後も続くのだった。
つづく]]>
vol55 2007 もてぎ7時間耐久レース(決勝4)
http://kei74moto2.exblog.jp/15300024/
2007-09-04T13:12:00+09:00
2011-04-21T10:59:51+09:00
2011-04-19T13:07:03+09:00
kei74moto2006
2007もて耐
梨本塾レーシングASアオヤマ☆は、4人のライダーで7時間、184LAPを消化し、3位表彰台に登ることが出来た。
これは言うまでもなく梨本塾、ASアオヤマをはじめ多くのスタッフ、関係者、応援団に支えられての結果だった。梨本塾として考えれば、2002年からはじまったもて耐チャレンジにおいて、5年越しの悲願を達成した瞬間でもあった。
かつてのドリームNODA関係の先輩方にも最大限の協力をしていただいた。20年越しのサポートだ。そういったものすべてがひとつになってはじめてこの結果が得られたのだと思う。
走行を終えるとチーム関係者のみんなから祝福される。
2006年初頭に、伊勢において行われたCBR1000RRの新車発表会、その試乗で得た妙なインパクトは、間違っていなかった。しかしまさかこんな最高の結果に結びつくとは夢にも思っていなかった。
晴れ晴れしい気持ちで表彰台に上がる。今まで何度となく上がってきた舞台だが、こんなにも清々しい気分だったのは本当に久しぶりのことだ。ちなみに優勝したチームの中で笑顔で見守ってくれているライダーは、梨本塾に参加してもいたキタリンである。こういった縁がもて耐で実現されたこともまた嬉しかった。
最高のシャンパン。オレたちにとっては勝利そのもの、という味がした。
そして前年、JSBチャレンジで苦楽を共にしたケンツの川島さんも祝福に。
記者会見では喜びを爆発させた。会場は爆笑の渦に飲み込まれる。
落ち着いたところでASアオヤマ代表のアオさんが挨拶スピーチ。そもそもこの人がいなければ、このストーリーは絶対に完結されなかった。
すべてではないが、スタッフの記念撮影。実際にはこの三倍くらいの人たちが裏方として全力で動いてくれていた。もちろんボランティアである。
2007年8月 もて耐 梨本塾レーシングASアオヤマ☆ 予選13位、決勝3位。
予選結果
決勝1時間後との推移と最終結果
SPL Thanx!!
CBRチャンレンジ~special thanks~
ホンダ
ブリヂストン
ASアオヤマ
モリワキエンジニアリング
アライヘルメット
クシタニ
KDC
D.I.D
ベスラ
NUTEC
NGK
SUNSTAR
モーターサイクリスト
ドクターSUDA
梨本塾大応援団
雅会
アオさん
本橋くん
ブンゲン
浜松のナグタン
鈴鹿のツネさん
梅田のマッチャン
王子の隊長
うえじい
うえじいキッズ
かわむら接骨院
オールスターモータースポーツ
【2007もて耐を終えてライダーの言葉】
トシ(石井敏幸)
年齢28 +A 好きな芸能人 キーラ・コルビ
レースをサポート&応援してくれた皆さん、ありがとうございました。皆さんの力添えがなければ走ることが出来なかったのでものすごく感謝しています。振り返ってまず思うのは梨本さんに言われた「トシ、スタートライダーな!」でした。その瞬間「エエッ!?マジですか!?」って感じで心中穏やかじゃありませんでした(苦笑)。17日の練習ではとにかく力みまくってすぐ疲れてしまったので「こんなんで大丈夫なのか?」と不安が募りました。さらに18日の練習は雨で、人生初のレインタイヤ………。乗り方も分からず当然タイムも出ずに、さらに不安は倍増しました。しかし本戦では完全に開き直ったのと前日にスタート練習を何回もしたので、スタートはそれなりに出来ました。すぐにモミクチャにされてズルズルと順位は下がってしまいましたが(苦笑)。「スタート直後から2~3周は絶対に無理するな、周りは早い段階からガンガン行くだろうけど、つられずに自分のペースで行け」という梨本さんのアドバイスがなかったら、相当焦っていたと思います。そのうち目も体も慣れてきて、決勝中に自己ベストも出せました。バイクを梨本さんに渡せたときは、すごくホッとしました。その後3人がすごく頑張って走ってくれて、3位が決まっときは本当に嬉しかったです。最後はドキドキしながらモニターを見ていました。………シャンパン、おいしかったあ(笑)。
さとし(入江聡)
年齢22 +O 好きな芸能人 宮崎あおい
3位表彰台という結果に、言葉では言い表せないほどの嬉しさを感じています。自分のようなアマチュアライダーを走らせてくれた梨本さん、青山さんをはじめチームの皆さんに心から感謝いたします。どのチームにも負けないピットワーク、完璧な作戦、7時間もの長い間、確実に情報を伝えてくれたサインボード。そのすべてがあるからこそ安心してコースに飛び出していき、帰ってくることが出来ました。スタートライダーのトシさん、その後の梨本さんからバイクを受け取りコースに出ましたが、様々な排気量のバイクが色々なペースで走行しているので、あまりうまく走れませんでした。それでも接触も転倒もコースアウトもなく、29周を走りきって次に繋げられたことは、自分にとって最大の、そして唯一できた仕事でした。それが出来たのは、後ろに梨本さんと萩原さんが控えていたからです。2人の追い上げは見事でした。各走行ごとに確実に順位を上げ、最後の走行では2位に17秒差にまで詰め寄る3位となりました。ゴールの瞬間、ピットウォールに集まったチームの歓声と、腕を大きく突き上げて応える梨本さんを見て、なんともいえない気持ちがこみ上げてきました。初めての本格的なレース参戦が、もて耐表彰台。こんな素晴らしい経験が出来たのは、チームがひとつの目標に向かって努力してきた結果です。本当にありがとうございました!
ブンゲン(萩原勝彦)
年齢35 +O 好きな芸能人 グラビアアイドル全般
"みんなで力を合わせて、人生に一度しかない「最高の夏」にしましょう"
最初の打ち合わせでの塾長の一言。この言葉に感銘を受け「最高の夏」になるようみんなで協力した結果「3位表彰台」というデッカイ金字塔を打ち立てることが出来ました。もて耐では強制5分間の給油ピットがあるので事前戦略は非常に大切ですが、筑波耐久でも優勝経験のあるASアオヤマスタッフはまさにプロ集団と化してました!さて自分の走行が近づいたとき、塾長から「2000回転落として走ってくれ」と言われました。まだレース序盤でいきなりこの作戦はマイナスになる可能性があるのではないかと不安になりました。しかしこれも前日の流れ(前哨戦4時間のもて耐でも、珍しくフルコースコーションが一切なかった。この年のもて耐は、そういった流れで進行しているらしかった)や他のチームの状態を見た上でチームが立て直した作戦です。最後の最後に塾長の瞬発力にかける意味も分かったので「やります!」と応えました。塾長も回転数を抑えて走っていたらしく、短い時間の中で設定タイムを掲げて「ブンゲンなら出来る」という塾長の言葉を胸にコースに飛び出しました。最後に塾長にバトンを渡せたときは、達成感で一杯でした。長丁場にもかかわらずノーミス、ノートラブルは「最高の3位」です。耐久レースの表彰台は20mくらいの横幅にして、スタッフ全員が上がった方がいいとつくづく思いました。応援、ありがとうございました。
塾長(梨本圭)
年齢36 +O 好きな芸能人 薬師丸ひろ子 ヘレン・ハント
ASアオヤマ青山店長をはじめすべてのスタッフの皆さん、梨本塾関係者の皆さん、大応援団の皆さん、さらにはホンダ、ブリヂストン、モリワキ、モーターサイクリスト、並びにこのチャレンジに惜しまず最大限の協力をしていただいたすべての関係者の皆さん、関連企業各位に、心から御礼を申し上げたい。また、大変なプレッシャーの中で見事それぞれの大役を果たした3人のライダー、トシ、さとし、ブンゲンにも感謝したい。
今回の表彰台は格別のもので、今までに上がってきたものとはまったく違う意味を持つ感慨深いものだった。梨本塾を始めてから7年、色々なことがあったが「いつか必ず梨本塾のメンバーでもて耐表彰台へ」というのは悲願だった。自分だけではなく、自分が教えた人たちと一緒にあそこへ上がりたい。ずっとそう思っていたが、今回ASアオヤマとのコラボによってプロジェクトを始動させ、もてぎロードレース選手権を走りながらの1年半を経て、このような結果へとたどり着いた。まさか本当にここまで来れるとは思っていなかった。ノーミス・ノートラブルという進行に、運も強く味方してくれた。内容的にはパーフェクトに近いが、シーンによっては相当な綱渡りを強いられた場面もあった。しかしことごとくそれらの戦略は功奏し、表彰台へと繋がることになった。このプロジェクトの大儀でもある「誰にでも作れて乗れるストックマシンで表彰台」ということも、完全達成できた。今回使用したCBR1000RRは、誰にでも手に入るバイクであり、誰にでも作れる仕様だ。長い間レースをしてきたが、こういった形での達成感は初めて得られた。これほど満足感のある「3位」も他にない。今後も出来れば自分だけのレースではなく、バイクを愛してやまない人たちとこういった形で長い間レースが出来れば最高だと思う。応援、ありがとうございました。
2007 もてぎロードレース選手権最終戦へつづく]]>
vol54 2007 もてぎ7時間耐久レース(決勝3)
http://kei74moto2.exblog.jp/15299053/
2007-09-03T10:04:00+09:00
2011-04-21T10:59:51+09:00
2011-04-19T09:58:32+09:00
kei74moto2006
2007もて耐
ブンゲンが8位まで引き上げた順位は給油の強制5分間ピットインにより、ピットアウト時には8位へと落ちていた。
だが、マシンの状態は非常によく、OEM車輌の基本構成をほとんどイジらない設定としたCBR1000RRは、耐久レース特有のマシンのタレはほとんどなく、燃費のことを除けば快調なペースを維持できている。
回転数は11000に抑えこみ急激なアクセル開閉を行わず、とにかくストレートは伏せてコーナーは速く・・・燃費走りとはいっても体への負担は逆に大きかった。2分2秒近辺のタイムで推移する。
スプリントでは1分57秒台でのラップアベレージと考えると、それよりも5秒も遅いことになるが、しかしエンジン、車体ともに完全なるノーマル、しかもFIも燃費用改造はしておらず、その中で11000回転キープということを考えれば、十分なペースなのかもしれない。もちろん周囲のアベレージもさほど上がっていないからこそ、順位は上がる。
8位スタートですぐに7位まで上がり、次いで6位、5位、4位、2位………。
そしてこのスティント終盤には、ついにこのレースで初めてトップに立つことに成功した。
15時13分、132LAPを走り終えてピットインする。ここでタイヤ交換を行い、15時18分、ブンゲン二度目のスティントがスタート。ここまで3人のライダーが頑張ってくれたお陰で、珍しく(というか今までにない)一度もフルコースコーションがなかったにも関わらず、ノーマルタンクでの6回ピットで済みそうだった。つまりここから、ようやく本気でのアタックが可能となった。
アウトラップでは3位に崩落するも、それをキープ。4~6秒台で走るブンゲンはポジションをしっかりと守って159LAPを走りきり、16時6分にピットに戻った。ようやく全開で走れたことで、ブンゲンも満足げだった。
いよいよ残りは50分弱。
ここまで、2002年のもて耐以降、梨本塾が誇る最高のブレーン、そしてアオさんが凄まじい勢いで数式演算を繰り返してくれていたおかげで、あらゆるシュミレイトから「全開でOK]という結果が弾き出された。
あとは自分が「やるだけ」だ。
16時11分、万感の思いを込めてピットアウトする。次周のコントロールライン上を5位で通過した。トップとは1周+アルファ2位とはほぼ1周、110秒近い差があったが、諦める気はサラサラなかった。
16で免許を取ってからここまで続いたレース人生。鈴鹿へ渡り天井と地べたの両方を味わって食えるようになって初めて東京へ戻った。しかしその後の8耐でのシングルフィニッシュやもて耐での表彰台に想いを馳せることはない。それよりも、もっと楽しく自分の描いたレースだけをずっとやってきた自負があった。
プライベーターで戦った国内A級250、そしてGP250、鈴鹿で戦ったNKシリーズ、モリワキとして参戦した8耐やSBK。そしてそれまでの形態の一切をかえて挑んだ梨本塾レーシングとしてのレース。またこれらと同時進行で行っていた、毎年一回スペインで戦うマスターバイク。そういった素晴らしき肥やしすべてを成熟させるのが、いま、ここだと思った。
まずはトップに追いついてぶち抜き同一周回へ。順位はすぐに5位から3位へと上がる。さらに2位と100秒以上あった差を周回ごとに詰めていく。CBRは未だ絶好調だった。
この感触、レーサーマシンではなく、あくまで市販車に近い柔らかなフィーリングこそが、普遍性を持つ可能性そのものだと思う。すなわち、誰もがスーパースポーツを楽しんだりすることが出来るようになるかもしれない具現例だ。
レース最終盤、梨本塾とアオヤマのスタッフたちがいっせいにピットウォールに立ち上っているのが見える。懸命にサポートを続けてくれたすべての顔が思い浮かんだ。残っている力を振り絞って、精一杯フロントを引き上げる。
2位との差を17秒にまで詰めたところで、ついに7時間耐久レースのゴールとなった。
梨本塾レーシングASアオヤマ☆、2007年もて耐、3位入賞。
つづく
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vol53 2007 もてぎ7時間耐久レース(決勝2)
http://kei74moto2.exblog.jp/15294033/
2007-09-02T20:44:00+09:00
2011-04-21T10:59:51+09:00
2011-04-18T20:38:46+09:00
kei74moto2006
2007もて耐
グリッド上には梨本塾レーシングASアオヤマの面々が和気藹々と集まっている。グランドスタンドにも梨本塾恒例となった大応援団が陣取っている。その中で一人だけ異様なまでの緊張感に包まれていたのが、スタートライダーを務めることになったトシだった。
まさかの大役を担うことになり、傍目で見ていてもかわいそうなほどに緊張していた。普段は人一倍明るくやんちゃな男から、一切の言葉が消えた。
そんな中、午前10時キッカリにレースがスタート。
ル・マン式スタートを決めたトシが、猛者にもみくちゃにされながらも1コーナーへと向かっていく。
この重要なスタートを含む1スティント目には、著名な国際ライダーも数多く出走している。そんな彼らに混じっての、立派なスタートだった。
無事に1コーナーを回り、すぐさまレースペースに突入していく。一周目を22位で通過。
序盤からベスト付近の9秒台、やがてベストラップとなる8秒台を刻みながら、必至に走るトシ。
順位は27番手前後まで落ちてしまったものの、スタートライダーということを考えれば上出来だった。スタートからしっかり1時間を走りきり、26LAPを終えて24位で戻ってきた。
一方ピット内外の動きも激しい。この後すぐに始まる給油やタイヤ交換シュミレイション、はては梨本塾築地組よっし~によるカキ氷サービスの準備などだ。
「よくやったなトシ!!」
7年前、梨本塾に始めてきたときはジェットヘル姿で膝さえ擦れなかったトシはもういなかった。このトシの頑張りに今度は自分が応える番だ。11時5分、スタートから渾身の力で序盤からフルスパートをかけていく。
ピットアウトしたときの順位は30位だった。燃費のこともあり回転数は上げられない。しかしその中でベストの走りを探す。すぐに26位、14位、11位、10位と、周回ごとに面白いように順位が上がっていく。
さすがにスプリント時よりタイムは遅かったものの、結局このパートで一気に2位まで浮上することに成功した。予定通りの52LAPを終えて、11時59分にピットへ戻る。今度はそのバトンをさとしに渡す。
「一切順位は気にしなくていい。自分の走りと、後はガソリンランプだけに集中しろ」
さとしにはそう告げた。もて耐は燃費との戦いでもある。特別なプログラミングはしていないが、しかし全開走行をしていたら確実にピットインの回数は増えてしまう。給油で5分間ストップが義務付けられている中で、これは致命傷にしかなりえない。
12時4分にスタートしていったさとしもまた、2000回転抑えた11000回転までしか使用せずに、11~13秒台をキープする。相当にストレスのたまる走行だったと思うが、ピットアウト時8位まで落ちた順位を3位まで回復させ、さらには29LAPを走りきってみせたのだ。この周回数は、非常に大きかった。
「さとし、ナイスラン!!」
13時9分、1時間5分という長丁場を走りきって戻ってきたさとしをそう讃えた。トシ、さとしともにここまで完璧といっていい走りをしてくれている。ここで1度目のタイヤ交換も同時に行う。ASアオヤマの腕の見せ所だったが、余裕を持ってこれもまた完璧な作業を終える。
さとしの好走でやや燃費的に余裕が生まれたものの、この後のブンゲンのパートで全開に出来るほどの余裕はなかった。ブンゲンにも同じく回転数の制約を入れ、一回目の走行が13時14分にスタートする。
それでも4秒~7秒という粘走を見せ、ピットアウト時13位だった順位を3位まで回復して戻ってきた。午後2時11分、109LAPを消化する。
『厳しいデス………』
そう顔を歪めるブンゲン。ブンゲンが言いたいことは分かってる、全開で走りたいのだ。しかし毎回のガス残量は数百cc程度しかなかった。全開にすれば、そのときは気持ちがいいかもしれないが、結果何も得られないこともわかっている。
何もエコランのようにパーシャルで走れといっているわけではない。11000回転回せば、少なくとも130馬力以上は稼げている。うまく走らせれば、それほど致命的に遅くなるレベルではなかった。
「よくやった」
ブンゲンにそう告げ、5分間の給油時間を終えてから、14時16分ピットアウトする。現在の順位は8位だ。
つづく]]>
vol52 2007 もてぎ7時間耐久レース(決勝)
http://kei74moto2.exblog.jp/15291173/
2007-09-01T12:35:00+09:00
2011-04-21T10:59:51+09:00
2011-04-18T14:08:29+09:00
kei74moto2006
2007もて耐
その予選から一ヶ月強、8月19日、いよいよもて耐の決勝を迎えることになる。
出来ればこの間精力的にCBRを走らせテストを重ねたかったのだが、実際にはほとんどそれは実現できなかった。というのも、タイヤ交換システムの構築などやらなければいけないことが山積されており、それらの整備に充てる時間が必要だったためだ。
この結果、さとしやトシは自分のバイクをもてぎに持ち込んでそれぞれ自主トレにはげむしかなかった。それぞれCBRとはまったくことなるバイクだが、何もしないよりははるかにマシだ。二人が感じていたプレッシャーに対しても、いい抗生剤となった。
しかも周囲の大方の予想に反して、スタートライダーはトシ。誰もがスタートライダーは「塾長」で一気にトップへ、という作戦を考えていたのだが、実際にオレ自身はあの夏の苦い経験を思い出していた。同じミスをするわけにはいかない。
『これは自分ひとりで走るレースではない』
もう一度それを肝に銘じて、パーフェクトな作戦を練ろうと心に決める。
もて耐のひとつの特徴は、アマチュアライダーとのペアリングだ。梨本塾レーシングASアオヤマでは三人がアマチュアで、自分ひとりのみ国際ライセンスとなる。
これまで数多くのレースをこなしてきたブンゲンはともかく、トシ、そしてさとしの二人は、生粋の公道からここへ出てくることになったアマチュアライダーであり、いわゆる選手権慣れなどまったくしていない。
そういう中で彼らをどうしたら安全に効率よく走らせられるかをしっかりと考えなければ、もて耐では絶対に結果は残らないのだ。
完璧に仕立てられたマシン、入念な打ち合わせを繰り返したスタッフ、そしてこれ以上ないというほどの好位置となったスターティンググリッド。今回も恐らくは大会でもっとも多い応援団が見守る中で、いよいよそのスタート時間が迫っていた。
つづく]]>
vol 51 もてぎ7時間耐久レース(予選)
http://kei74moto2.exblog.jp/7374395/
2007-08-31T09:44:18+09:00
2007-08-31T09:44:18+09:00
2007-08-31T09:44:18+09:00
kei74moto2006
2007もて耐
もてロー第三戦が行われたその日、一方ではもて耐のプログラムが進行中だった。つまりレースプログラムの裏側で、同時進行でもて耐の受付や車検がはじまっていたのだ。
正確な経緯は知らないが、少なくとも自分がこれまで出場していた限りでいえば「もてローに出場している人=もて耐の参加者」であったはずだ。だが、今回のようなプログラム進行ではそれもままならない。この辺はなぜこういう段取りになってしまったのか、かなり不可解だった。
幸運なことに、オレたちにはたくさんの応援団がいるため、一方でレース、一方で受付車検(耐久の受付車検はかなり大変で、これだけでもきっちりと”消耗”出来る………)という難作業を行うことが出来た。それぞれ無事に済ませて、いよいよ翌日の予選に備える。
さてもて耐では国際ライセンスのタイムは反映されない。第一ライダーのブンゲン、第二ライダーのさとしの合計タイムによって、決勝進出可否が決まる。しかも今年からはレギュレーションに改定が加えられ、総エントリーの過半数を占めているスーパースポーツクラスの予選通過台数はしかし、たったの26台という狭き門となってしまった。例年と比較してエントリー台数が減ったとはいえ、60台以上もSSクラスのエントリーがあることを考えれば、最悪「予選落ちもありうる」と覚悟していた。
迎えた日曜はドンヨリ曇り空。予選は第一ライダーのブンゲンからの走行となる。いつもバカデカイ声のブンゲンだが、この時ばかりはさすがに緊張したのか「ナシモトクン」という声も聞こえないほど小さい。
しかしコースに出ると一変、かなり気合の入った走りでいきなりリーダーボードのトップ争いを展開する。そしてそのままの勢いを維持して、なんとA組のトップタイムをマークしてみせたのだった。
これにはピットも大騒ぎ。予想以上の結果にまずは拍手喝さいとなる。
「まだまだいけますよ!」
ピットから出て行く前と同一人物とは思えないほどラージマウス化したブンゲンが吠える。何しろハーフウェットでしたからね、フルドライならもっと行けますよ………。ハーフウェットで1秒台が出せれば、ドライなら1分51秒台が出るだろう。JSBライダー並のラージマウスぶりである。
だが喜んでばかりもいられない。次は一番若いさとしの番だ。この二人の合計アイムによって、梨本塾レーシングASアオヤマの結果が決まる。さとしはこれまでなし塾などローカルでオフィシャルではないレースへの出場経験はあるものの、もて耐のような大舞台は初めて。ブンゲン以上に緊張しているのが見て取れて、実際にコースインしても走りはガチガチだった。
(やはりあの経験値で、これだけの重責には耐えられないか?)
そんな思いがアタマをよぎり、ピットサインの指示に悩んだが、結局はさとしを信じることにして「UP!」と出し続けた。すると見違えるような走りをはじめ、ベストラップを大幅に更新する2分7秒台をマーク。A組第二ライダーの中で16番手となった。
予選が終了するまでボーダーラインがどうなるのかさえまったく見当がつかなかったが、二人の合算タイムは4'09.681となり、SSクラス10番手、総合13番手という素晴らしい結果となった。
予選通過、しかもかなりいいグリッド位置!
実はここまではどうなるのかさっぱり予測がつかなかった。自分のチームのレベルもそうだが、周囲のレベルもまったくつかめていなかったので、この結果には正直驚き、そして確かな手ごたえを掴むことが出来た。
その後は第三ライダーであるオレの走行枠で59秒台、第四ライダー枠ではトシも奮闘、こちらもベスト更新の2分9秒台へとタイムを伸ばし、すべての予選プログラムを終えた。
予選結果からすべてが予測できるわけではないが、少なくとも「完走目的」というようなレースにならないことだけは確かだ。マシンの感触も非常によく、また四人のライダーも乗れている。
このまま行けば、ひょっとするかもしれないな………。
先ごろまでの不安は一掃され、よいイメージばかりが思い浮かんだのだが、実際には「ここから」耐久はスタートしたようなものだったのだ………。
つづく。
※ なお、このブログでのレポート同時に、月刊モーターサイクリスト(明日9/1発売)誌連載のもて耐チャレンジも合わせてご参照下さい!
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vol 50 もてぎロードレース選手権 R3
http://kei74moto2.exblog.jp/7120884/
2007-07-16T00:38:00+09:00
2011-04-19T14:22:58+09:00
2007-07-16T00:38:41+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
いよいよ今年三回目のモテローとなる。
ただこれまでと大きく異なるのは、翌日にもて耐の予選があるということ。ということはつまりほぼ併行してスケジュールは組まれているため、かなりハードなものとなることが予想された。
スプリントCBRは前回からの仕様変更はなく、足回りだけセットアップすればいけるのではないか、と考えていた。
公式練習では特別よくもなく悪くもなくというタイムだったんだけど、フロントに溜まるパートで巻く、という症状が出ていて少し気になっていた。130Rの飛び込みやダウンヒルエンド、最終区間などでどうもフロントタイヤが切れ込んでくる。今までこういう症状は出ていなかったので、少しセットアップを変えてみたものの、症状に改善は見られなかった。温間時のエア圧も2.4前後(F)と、特に問題はないものの、中古タイヤで59秒前半くらいのペースでやはりフロントが落ち着かなかった。
迎えた予選。
ひとまずフロント周りの確認をした上でアタックするものの、やはり気になって思い切れない。行こうとしたときにシュルシュルと抜けてしまう感じで、130Rの飛び込みも結構慎重になってしまった。
57秒台には入ったもののフィーリングはよくなくて、これではラップレコードの56秒台は狙えないなと悶々としてしまった。
ちなみに今年のモテローは、フルコースでのレースはこれで最後。つまり年間4戦のうち、2戦が東コースでのレースとなる。残りは最終戦の10月だが、これも東コースでのレースだ。正直いうと、東でのレースはあまり面白くない。走っていても、醍醐味となるような部分がまったくないからだ。もともともてぎはライダー冥利につきるというか、そういうレイアウトではないので、速く走ってもあまり達成感がないコースだが、エントリフィーにはじまってあらゆることでお金をサーキットに落としている身としては、これは非常に寂しい限りだ。もちろんフルコースでやる場合と東でやる場合とではコストをはじめ色々と異なってくるのだろうが、レース現場としては、ピット施設も思うように使えない場所でのレースというのはかなり厳しい。
レースに戻る。
予選はポールだった。これで四連続ということになるが、その前に自分のイメージどおりに走れていない、ということが大きい。イメージどおりであれば、たとえ予選タイムが出ていなくても決勝でやれる自信がつくものだけど、今回はイマイチそういう感覚がなかった。要は走っていてあまり楽しくなかったのだ。
スタートでは例によってCBRクラッチ張り付き病に瞬殺され、ガックンウィリーとなり出遅れる。すぐに三番手まで追い上げたが、この先どうするか少し考えた。
(みんな応援しに来てくれてるしな~今回はちょっと時間かけて抜こうかな)
これが、余計な目論見だった。
二周目のV字コーナー進入。
まず二番手のマシンを抜きかかり、ついでトップも抜こうとしたとき、トップのマシンが進入でケツを振った。行き場を失いそうだったので、抜かずに引くと、そこに二番手のマシンが再度鼻先を突っ込んできた。(………ここに入れるのか?)内側を見ると、すでにケツが流れまくっていて、ハイサイド直前。(うお~そのままオレんとこに吹っ飛んでくんなよ!)。
一瞬立て直したかに見えたが、あえなくそのままハイサイドとなり、まずマシンが突っ込んでくる。予感はあったので、なんとかギリで右にかわすと、今度はフロントタイヤのすぐ前にヘルメットが転がってきた。(うおッ、踏む………)
………今度は左に避けて、ほんとに、なんとかギリギリで回避できた。
(こりゃやっぱし早めにアタマ獲ったほうがいいな、すぐに前に出よう)
というようなことを0.001秒くらいで考えた直後だった。
ズドンッ。
左足に激痛。「!!!???」何かが思い切り当たった。すぐにアクセルを開けてシフトアップしようとすると、ペダルが見当たらない。下を向くと………無残にもステップが内側にめり込み、一切操作不能というほど折れ曲がっていた。どうやらさらに後続の車両が、オレを抜きざまに当てていったらしい。
どうすることも出来なかったので、そのままピットイン。敏腕メカ本橋君に「ステップが曲がってる。折れてもいいから思い切り引っ張り出して!」と告げる。
しかし頑丈なモリワキステップは少々のことでは元通りにならない。かなりの力でメガネレンチで引っ張っているものの、ビクともしなかった。
「マジに折れてもいいから、思い切り引っ張りだせ!」
「ハイ!」
「うりゃ~~~~~~!」
ボギンッ!ゴロゴロゴロ~。
折れたステップと一緒に転がっていく敏腕メカ本橋君。場内放送で「ナシモトナシモト」と騒いでいる最中で、みんな結構注目していたから、正直このときは笑ってしまった。
だが笑ってもいられない。たまたまもて耐車両を降ろしてあったので、そのステップを換装することにする。本橋君と松ちゃんが速攻で作業してくれて、わずか3分程度でコースに戻ることが出来た。
さて、どうするか。
コースには戻ったものの、チンタラと走っていても面白くない。現在トップを走っているのは全日本のST600にも出場している選手らしい。今まで一緒に走ったことがなかったので、まずは走りを見てみたくなった。
しばらく待っているとトップの選手がやってきた。二番手は………あ、オレに当てたバイクじゃねえか(苦笑)。まあレースだから仕方がないんだけど、プロレースでもないシーンでの接触事故というのはなるべくない方がいいと思う。残るのが遺恨くらいならまだしも、怪我でもしてたら趣味とはいえなくなってしまう。
ひとまずトップの背後について走りを見物した。今回はじめて一緒に走る選手だが、全日本に出場しているだけあって、けっこう鋭い走りをしている。
(やっぱこのまんまゴールするのがマナー………かな)
などと考えていたんだけど、誰かを抜くために出場するのがレース、と考えれば
(ん、やっぱ抜いちゃおっと)
となった。
最終ラップに前に出て、そのままブルーフラッグとチェッカーフラッグを同時に受けるという貴重な経験をした。これはつまり周回遅れだがトップを抜いてきたオレへの「ブルーフラッグ」であり、またその周回にゴールとなるトップの彼へのチェッカー、であった。彼の後ろであればそのままゴール、しかし前に出てしまったので、オレはもう一周することになった。
去年からもてぎでレースをするようになってからこういうケースに見舞われたのははじめてだったが、ひとまず最後は思い切り走れたのでよしとしたい。そもそもはじめから全力で行かなかったのが運のつき。次回最終戦では、練習から120%の走りでやってみたいと思う。
今回も応援に来てくれたみんな、本当にありがとう!
CBRチャンレンジ~special thanks~
ホンダ
ブリヂストン
ASアオヤマ
モリワキエンジニアリング
アライヘルメット
クシタニ
KDC
D.I.D
ベスラ
NUTEC
NGK
SUNSTAR
モーターサイクリスト
ドクターSUDA
梨本塾大応援団
雅会
アオさん
本橋くん
ブンゲン
浜松のナグタン
鈴鹿のツネさん
梅田のマッチャン
王子の隊長
~もて耐予選に続く~
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vol 49 最初で最後のもて耐公開練習
http://kei74moto2.exblog.jp/6977498/
2007-06-14T18:53:00+09:00
2011-04-21T13:56:43+09:00
2007-06-14T18:52:31+09:00
kei74moto2006
2007もて耐
いよいよもて耐予選まで一ヶ月となった。6~7日はもてぎで公開練習があり、前回モテローから約二週間のインターバルを経て、もてぎへ乗り込むことになった。
とはいえこの間にもて耐用車両の製作という大変な作業があり、ASアオヤマ並びに本橋君は目の回るような業務日程の中でマシンを仕上げてくれた。
無事にマシンは完成し、スペアに持ち込んだスプリント用CBRと並んでピット入り。ほとんどの構成がノーマルパーツだが、これまで五戦を戦ったモテローの中で「これはマスト」と思われる部分に関してはすでにパーツを換装してある。この仕様で自分はともかく、他のブンゲンやさとし、としの三名が果たしてどこまでいくのかが楽しみだった。
まずはナラシを兼ねての慣熟走行をして、各部に問題がないかチェックする。睡眠時間を削りまくって作業してくれた本橋君だが、今回もミスは一切なく、バイクはきちんと走った。
当日の天気は曇り時々晴れ。公開練習参加台数はかなり多く、1回の走行数は60台以上にも登った。ベストラップを刻めるようなシチュエイションではないものの、こういう中でどんな特性なのかということも、耐久を走る上では大事な要素のひとつだ。
スプリントで走らせているものよりも当然パワーは落ちるものの、逆に中間レンジでのパワーデリバリーは落ち着いていて、非常に乗りやすいというのが第一印象だった。昨年モテロー初戦時とほぼ同じスペックだが、サスペンションバネレートやセッティングは当時よりもはるかに進んでいるということもあって、クセがなく、コーナリングがイージーという仕様だ。すぐに59秒台に入ったところでバトンタッチ。まずは一番速いブンゲンに乗らせた。
これまで筑波ではST600で何度も優勝しているものの、もてぎで1000ccのバイクを本格的に走らせるのは今回がはじめて。いつもラージマウスなブンゲンもさすがにビビったのか、10秒程度しか出ないままピットに戻ると、スモールマウスバスへと変化し、寡黙になっていたのには笑えた。
次にとしが乗り出すものの、こちらはさらに深刻。15~6秒台というペースでの走行となる。15周目辺りでようやく12秒台にまでペースアップしたものの、これは5年前に自分のGSXR-750でマークしたベストにさえ届かないタイム。「乗りやすいです」とはいうものの、ブンゲン同様、その声は普段からすれば「テラミニマム」な感じで頼りなかった。
しかしその後は二人とも精力的に走りこみ、ブンゲンは3秒台、としは10秒台にまでタイムアップ。ひとまず第一段階としては合格というペースにまで持ち込んだ。
翌日はサトシが合流し、早々に11秒台をマークし、さらに積極的に走りこむ………はずだったのだが、元祖スーパー雨オトコのサトシ、なんといきなり大雨を降らせやがった………。ちなみにオレは二年間もてモテローを走ってきて、未だレインタイヤを履いたことがないというくらいなのだが、さすがにサトシの雨オトコぷりには勝てないみたいだ………。
あまりにもひどい雷雨だったので、一度は撤収作業を開始したものの、しばらくすると天候は急速に回復し、土砂降りから二時間程度でドライへと変わった。
ここでブンゲンが3秒前半にまでタイムアップしてトップタイムをマーク、としは12秒でストップ、さとしも同じく12秒台で走行を終える。 これで公開練習は終了、あとは予選までに各自がどれだけタイムアップできるかにかかっているのだが………。現時点でブンゲンのみが及第点をクリアしているものの、残りの生粋なし塾生のパワーは未だ未知数であり、実際にどこまでいけるのかはフタを開けてみなければ分からない。
未知数ということでいえば、今回は梨本塾レーシングにナゾのオージービーフことナイジェルが合流した。
もしも、としやサトシがどうしてもタイムが出ない場合には、「第四のオトコ」として、マスターバイクで馴染みのオージーを急遽ライダーに抜擢し、凄まじいパワーを見せ付ける、という漫画的な展開なら面白いんだけど、そうではなくて、モリワキにコンタクトしてきたものをこちらで面倒見ることになった、というのが正直なところだ。
ナイジェルは54歳、オーストラリア国内選手権やマン島にも参加しているライダーで、年齢はともかくガッツだけはすごくあるのが特徴だ。今回もオレと一切話さず、メールさえしないままに、地元の駅までたどり着いてしまったタフガイ。ひとまずホテルだけは用意してあげて、翌日は英語力0%のブンゲンが迎えに行き、そのまま無言で北上、もてぎでようやくオレと会えた、という展開。
よく来たな、とは思ったものの、それ以上にビックリしたのは、彼が装具一式を抱えていること。
「走リタインデス!」
アホか、と思った。
もちろん甘い言葉など一切かけていない。というか事前に一切コンタクトしていないし、もちろんモリワキで担当した人にも「みるだけならOKだけど、絶対に走れない」と告げてある。しかも今回は最初で最後の公開練習だ。アカの他人の面倒見る前に、自分のチームのライダーやバイクをなんとかしなければならない。マジに日本語でアホか、と呟いてしまった。
「デモ走リタインデス!!」
………マジアホカ、コイツ。
もちろん初対面のオージーに義理などない。な~んもない。ただそうはいっても、自分が諸外国を訪れるたびに、実に様々な人たちに救われてきたのも事実。アホかと思うと同時に………なんとかコイツをもてぎで走らせてあげられないかな、と考えてしまった。
オーガナイザーに事情を話し、なんとかしてもらえないかと懇願すると、初心者枠の先導走行に限って走らせてもらることになった。もちろん彼はFIMライセンスを持っているからマナー&ルールについては問題ない。
あとはバイクだが、もて耐号はもちろんのこと、スプリント仕様にしてもナゾのオージーに乗らせるわけにはいかない。すると………
「マジすか!?」
空いてるのは、としの市販車バイクしかなかった。そう、毎月梨本塾に参加しているあのGSXR750だ。
「なんかあったら全部弁償させるからさ、な?」
ととしを無理やり了承させ、ナイジェルにも「これに乗れ」と指示。するとあろうことかとしではなくナイジェルから
「コノホイール曲ガッテマ~ス、ワタシハレーシングバイクニ乗リタイデース」
とクレームが入った。
………いい加減にしろこのヤロウ。怒りの目で「ハア?」みたいな感じで睨むとすぐに理解した様子で、「デモOKデース、アリガトゴザマース」となったので、一安心。本人は「ホワイトタイガー」と言い切るシマウマツナギを着て、としのバイクで初体験のもてぎを楽しんだのだった。
その夜は………まあ色々とあるんだけど、この辺は次号のサイクリストを参照してもらうとして、とにかくただであえドタバタのもて耐がさらにドッタンバッタンになって楽しかったのはいうまでもない。
もちろんレースをするからには「楽しい」以前に「勝つために」が大前提。反省点は星の数にも登るので、これからそれを全部洗い出して、予選に備えたい。
ちなみに現時点で把握しているタイムスケジュールは
7/6………モテロー公式練習
7/7………モテロー予選、決勝、もて耐受付(車検?)
7/8………もて耐予選
となっている。まさしく我が家の三匹の猫も連れて行って手を借りようかというほど忙しいと思うので、もしもお手伝いに来れる方がいたらぜひ現地までよろしくです。なお宿泊も希望される方はstd_spd@hotmail.comまで「もて耐お手伝い宿泊希望」と書いて送信して下さい。]]>
vol 48 2007 もてぎロードレース選手権 R2 (決勝)
http://kei74moto2.exblog.jp/6939733/
2007-06-04T22:07:00+09:00
2011-04-19T14:23:49+09:00
2007-06-04T22:07:49+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
いつものように梨本塾メンバーが大挙して応援に駆けつけてくれた。選手紹介がはじまると同時に、スタンドから「じゅっくっちょほ~う!」のダミ声。しかも限度を知らない大声で、場内アナウンスまでもかき消されるほどの大音量だった。
さすがにドン引きのグリッドだったが、応援されている方からすれば嬉しくないはずがない。暑っ苦しいオトコたちが自分のレースを応援にきてくれる以上に嬉しいことはない。
また今回のレースはオートショップアオヤマのツーリングプログラムにも組み込まれていて、お店のお客さんもツーリングがてら応援に駆けつけてくれた。ローカルレースとは思えない応援団の数に、いつもながら幸せを感じた。
迎えた決勝だが、直前のST600のレースで多重クラッシュがあり、最終コーナー付近は真新しいオイル処理がなされたままの「真白」状態。幸い走行ライン上は問題なさそうだったが、レコードラインを外せばヤバそうな雰囲気だったので、サイティングラップで滑りそうな箇所をよく確認しておいた。
スタート後、ダウンヒルまでに3番手に後退。これは予定通りというか、CBRのクラッチに不安を抱えたままの状態だったので、ほぼアイドリングスタートをしたのでしょうがない。ショートカットまで4番手に落ちるものの(キタリンにやられちまったよ!)、4コーナー立ち上がりで3位に上がり、V字で2位、いよいよトップの黒川選手を追いかける体制に入ったところで「レッドフラッグ」。
どうやらダウンヒルで衝突事故があり、オイルが出たためにレースが中断されたらしい。
ただでさえ非常に遅い時間のスタート(午後4時。朝早くから茂木に来ているだけに、この辺は非常にかったるい感じがする。プログラムそのものは3時間もあればすべて終わるはずだ)だったので、この赤旗でさらに進行は遅れ、およそ10分後の再スタートとなった。
今回もサイティングでオイル処理箇所(ダウンヒル、ほぼ全面。これは非常に危険な対応だと感じた)をよく確認し、スタートに備える。
二度目となるスタートもほぼアイドリングでクラッチミートしたものの、なぜかトップに立つ。そのまま抑えこんでダウンヒルに入ろうとしたところ、今回は600で参戦している黒川選手が矢のようにインを刺してきた。
恐らく600の場合に勝負どころは突込みしかないはずなので、当然といえば当然のことだ。ついでについ最近の全日本筑波でシングルフィニッシュしたという黒川選手のCBR600RR(恐らく06以前のモデル)の実力を確かめることにした。すると、かなり驚くことが判明した。
まずダウンヒルからショートカット、4コーナー立ち上がりまでは、圧倒的に600の方が速いことが判明。加えて、その後のストレートではここまでに生じた差を相殺することが出来ない。もちろん5コーナーから130R進入までも600の方が速いのだが、焦ったのは
「130Rも変わらねえ~のかよ!」
ということだった。
600と対決する場合、よほど立ち上がり区間を稼げるサーキットレイアウトか、もしくは1000がスリックを履かない限り、思っていた以上にアドバンテージとなる箇所が少ないようだ。
130RからS字区間はほぼ同じ、しかしV字は600、その後のストレートとヘアピンで少々差が詰まるものの、バックストレート1/3ほどまでは600の方が速く、ダウンヒルに入る辺りでようやく追いつき始める、といった感じだった。
もちろんこれは黒川選手レベルのライダー、そしてかなり速いマシンという前提があってのものなのかもしれないが、少なくともアマチュアが考える以上に1000のアドバンテージというのは少ないように感じた。逆にいえば今の600の実力はそこまで上がっている、ということでもある。プロダクションクラスのタイヤも600をメインに作られていることを考えれば、この高い運動性も頷けるものがある。
さてレースなので感心ばかりもしていられない。
バックストレッチで並びかけ、その後のダウンヒルで前に出るかどうするかしばし考える。
ただ、やはりまだオイル処理痕は色濃く残っており、90度コーナーがどこまでいけるのかさっぱり分からない。明後日にはプロとのラウンドも控えており、この後すぐに試乗する仕事もあるので絶対に怪我するわけにもいかない。
ひとまず様子を見ることにして一歩引くと、黒川選手がまたしても矢のように突っ込んでいった。だが………。
(………あれで曲がれるのだろうか?)
さっきまでのオイル処理がない状態ならともかく、今回は「スケートリンクもてぎ」状態の90度コーナー。そこに全力で入っていく黒川選手だったが、クリップにつくかつかないかというあたりで思い切りスリップダウン、そのままコースサイドに吹っ飛んでいった。
なんとなく予測はしてたものの、目前でのクラッシュだったために危うく轢きそうになってハードブレーキング。そのすきに3番手の選手に抜かれてしまう。
(やっぱ今日はこのコーナーはダメだな)
かなりスピードを殺さないと走れないということが分かり、その上でどうするか考える。トップの選手とは今までほとんど絡んだことがなかったが、後ろから走りを見る限りは、なんとかなりそうだった。
130Rでパスしてそのままトップに立ち、しばらく様子を見ながら抑えたペースで走る。やはりダウンヒルは雨よりも遅く走らないとヤバい感じだ。しばらくしてその走り方にも慣れてきたので、一気にスパートかけた。とてもレコードタイムを狙えるような状態ではなかったものの、後ろも徐々に離れ出したので、そのままのペースを守りきってチェッカーを受けた。不必要に長く感じた一日だったが、今回も無事にレースを終えることが出来てホッとする。
今シーズン開幕から二連勝、昨年最終戦から数えて三連勝を飾ることが出来た。これで勢いをつけて、この後のもて耐公開練習に挑みたいと思う。
現場まで応援に駆けつけてくれたすべての皆さん、ホントにいつもありがとう!
CBRチャンレンジ~special thanks~
ホンダ
ブリヂストン
ASアオヤマ
モリワキエンジニアリング
アライヘルメット
クシタニ
KDC
D.I.D
ベスラ
NUTEC
NGK
SUNSTAR
モーターサイクリスト
ドクターSUDA
梨本塾大応援団
雅会
アオさん
本橋くん
ブンゲン
浜松のナグタン
鈴鹿のツネさん
梅田のマッチャン
王子の隊長
クシタニつなぎ、2007バージョンになりました!
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vol 47 2007 もてぎロードレース選手権 R2 (予選)
http://kei74moto2.exblog.jp/6926310/
2007-06-01T16:26:40+09:00
2007-06-01T16:26:40+09:00
2007-06-01T16:26:40+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
「おはようございます!」
「ん?ああ、おはよう………」
「いまどこですか?雨は降ってますか?」
「ん?ああ………なんというかまあ、トンネル………みたいなとこだよ。雨は大丈夫だ」
「………そうすか!ボクが走っているとこも晴れてます!今日は大丈夫ですね!」
「………そうか」
そんな電話ではじまった金曜日、フリー走行の朝。電話の主はブンゲンで、今年のもて耐チャレンジで第一ライダーを務める予定のライダーだ。今回のモテローにはブンゲンもエントリー、ST600クラスを走るらしい。今日はそのためにもてぎに向かい、道中から電話してきているのだった。
「ところでナシモト君、何時ごろ到着しますか?」
「………どこに?」
「どこにって(笑)。もてぎに決まってるじゃないですか!」
「………さあなあ。なあブンゲン、オレはいま”フトンネル”のなかなんだよ………」
「………(絶句)」
そう、この日は朝からアホみたいに降水確率が高く、ゴルフならまだしもとてもじゃないが時間とコストをかけてまで走りに行く気にはなれなかった。朝からネットの実況アメダスを睨みつけていると、雨雲は秒単位で東へ伸びはじめ、あれよという間に関東全域を覆っていった。栃木方面も然り、但しかろうじて茂木周辺のみ「ポッカリ」と隙間があいてはいた。だが。
「走りましょうよ!」
「………ムリだな」
「大丈夫っすよ!オレ、晴れオトコですから!」
(世の中にオレ以上の晴れオトコなどいない。ブンゲンはまだそれを知らないらしい………)
「そっか。まあじゃあ晴れるだろ。一生懸命走ってこいよ」
「………マジっすか~(泣)」
晴れオトコのオレが行かなければきっと大雨になるだろう。そんな勝手な予測をしたのだが、前回のセッティング同様これまた見事に当たり、ブンゲンは走り出して三周目のダウンヒルで雨にたたられ、走行終了となった。
「………帰ります」
走行開始から15分後には、ブンゲンからそんな電話がかかっていた。
そんなわけで直前走行は出来ずにそのまま決勝日入り。フリー走行はあるものの、非常に時間が短いために、大きな変更は出来ない。ただ前回テスト時の感触はよかったのでさほど心配はしていなかったのだが、いざ走り出すと
「!?」
………まるでCBRがR1になってしまったかのごとく、フィーリングは激変していたのだった。
これには少々面食らい、セットアップを振ってみるものの、結局感触は戻らず。どうやら外気温、路面温度ともに前回よりも大幅に上昇したことで、足回りやエンジンのフィーリングが大きくズレてしまったようだ。
それでもなんとかレコード更新をしようとかなりムキになって予選を走ったものの、結局マシンフィーリングは悪いままで、タイムにもそれが反映されてしまう。ポールは獲ったものの目標タイムからは1秒以上も遅く、達成感はゼロだった。
「なんとか決勝までにマシンの状態を戻して、レコードを更新したい」
そう考えて色々と足回りのセットアップを見直して、プランを練る。2~3思いつく箇所もあったので、その辺を変更してレースに挑むことにした。
だが、決勝もまたそんなに簡単にはコトが運ばないのであった………。
つづく。]]>
vol 46 2007 もてぎロードレース選手権 R2 (スポーツ走行)
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2007-05-30T21:57:00+09:00
2007-05-30T22:00:06+09:00
2007-05-30T21:57:42+09:00
kei74moto2006
2006-07 もてぎ選手権
5月13日にスポーツ走行を走った。
前回レースから約二ヶ月、この間まったくマシンには乗っていなかったので久しぶりの走行となる。
直前にマスターバイクスペインに行っていたこともあり、体はキレていた。東コースを走るのは昨年のレース以来だったが、すぐにリズムも取れて中古タイヤで26秒台に入った。
しかしそこからがなかなか伸びず、一度ピットインして足回りのセットアップを試すことにする。
昨年末からずっと抱えているのが、リヤのトラクション不足と過度にウィリーしてしまう車体姿勢。
これまでもイニシャルや車高調整をして試行錯誤してきたんだけど思うような成果は上げられず
「いっそのこと丸ごとスウィングアームを変えてしまうか!?」
とも考えた。
しかしながらかかるコストを考えるとそう簡単に出来るものでもなかったので、今まで試していなかった範囲にまで調整幅を広げてセットアップを試みた。
するとこれが見事に当たり、ラップアベレージは26秒台前半に落ち着いた。二本目の走行では25秒台にも入り、昨年のレースタイムに匹敵するところまでペースアップに成功した。
「これなら24秒台も出るかもしれないな」
このクラスの新たなコースレコードの樹立、そして同じ選手権で行われているスリック装着JSBクラスのレコードも大きく上回るタイムが出そうなほど、マシンは好感触だった。
だが、そんなに簡単にハナシは進むはずもないのだった………。
つづく。 ]]>
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